理事長の挨拶

                           廣瀬 和子

  2008年5月11日、南山大学における世界法学会の役員会で、2008年5月より3年間、本学会の理事長に就任することになりました。

 1965年に世界法研究会として発足し、11年後に世界法学会として改組された本学会は、世界法や世界政府について研究し、その成果を普及するための学術組織です。設立のきっかけは、第2次世界大戦末期の原子爆弾の登場がもたらした惨状を目の当りにして、戦争を違法化しその実効性を高めるためには、各国の主権を制限するような、世界政府ないし世界連邦が必要であるという運動が、欧米で、また日本で盛んに なったことでした。日本の国際法学者の間ではその研究の必要性が認識され、国際法学会とは別に、世界法学会が設立されたのです。

 太古以来、ヨーロッパでは諸民族の往来と興亡を経て、さまざまな小国家の間に法的・宗教的・社会的秩序が形成され、厚みのある中世ヨーロッパ世界が形成されました。1000年の時を刻んで中世後期には、国民国家が成立しその関係を表象する国際法という認識が形成され、とくにウェストファリア体制の成立以降、その客観的存在が顕在化してきます。今日私達は国際関係の一側面をこの国際法をとおして認識しているのですが、この国際法とは区別して世界法という構造を世界のなかに認識できるでしょうか。そもそも世界法とは何でしょうか。世界法が存在するとしても、何が世界法であるか、世界はまだその考察を深めているとはいえません。しかし国際法も世界法も、歴史のなかでどのような言葉で表現されてきたかに変化はありますが、人々が国際社会や世界をどのように認識してきたかを示す、長い歴史をもった概念です。変化する国際社会ないし世界の現実に、国際法と世界法とは特別の関係を保ちつつ、対応してきました。

 人々の認識する「世界」は時代と地域によって、ギリシャ・ローマ世界であったり、ヨーロッパ世界であったり、その他の地域に創られた秩序であったりしましたが、グローバリゼーションと情報化が進む中で今や、人々が考える「世界」は地球上のさまざまな場所に広狭さまざまに構想されています。その「世界」を構成する「人間集団」は、家族・村落などから始まり、小王国を経てヨーロッパ近代においては「国民国家」となりました。現代世界ではさらに、国家の壁を越えて行われる人間活動が無視できなくなっています。その結果形成されている市民社会の力はさまざまな分野で実質的な効果を生み出しつつあります。環境問題、水と食料問題、エネルギー問題という地球規模の問題があり、多発する民族・エスニック抗争がもたらすテロや難民問題や貧困の問題など、世界大の政治的な問題があり、国家中心の考え方を克服して、国家も含めた全てのアクターの英知を動員して解決の道を模索しなければならなくなっています。全ての人々の生命と安全を維持できるような、地球環境の管理と国際(世界)政治の仕組み(グローバル・ガバナンスのメカニズム)を考案するうえで、国際法では埋めきれない機能が「世界法」の理念と役割に期待されているのではないでしょうか。

 実証的な学問として自立した国際法に対して、世界法や世界政府や世界連邦を求める理念や理想は、戦争による人類の破滅を避け、人類の持続可能性を希求する、人々の願いのなかに目に見えない形で埋め込まれているに過ぎないかもしれません。既存の実定法として客観的分析の対象にはならないかもしれません。しかし現代の社会科学はそのような人々の意識をも、学問の対象にする概念枠組や集計の手段を考案し用意しています。グローバル化し情報化する世界の67億の人々の、不可欠の要請に応えるような社会や法の仕組みを作るうえで、役に立つかもしれません。

世界法学会のすべての役員・会員の皆様とともに、3年間、世界法の研究をとおして、同時に世界の平和に貢献する国際法の実現と発展と、さらには世界法の創造的発見のために努力したいと思います。ご支援とご協力をお願いいたします