理事長の挨拶

                               位田 隆一

  本年5月14日に明治大学において開かれた世界法学会役員会により理事長に選出され、3年間世界法学会の運営をお預かりすることになりました。
  まずはじめに、東日本大震災と福島原発事故の犠牲になられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、被災されて今なお元の生活に戻ることのできない状態で日々を過ごしておられる方々に一日も早く安寧な生活が戻りますように、連帯と支援のこころをお送りします。
  世界法学会のルーツは第1次大戦後に始まった世界連邦運動の理論的な基礎を探求するための研究会に始まります。1965年に発足した世界法研究会は1976年から世界法学会に発展し、今日に至っています。世界連邦は、国際社会において、主権国家間の対立、そしてその結果としての戦争を、解決し回避するために、国家ではなく一人一人の個人を構成単位とする世界連邦によって世界の平和と安寧を確保しようとする運動です。この研究会設立の中心であった故田畑茂二郎先生の『世界政府の思想』(岩波書店)はこの運動を国際法学者の立場で冷静に著述された名著です。現実には、国家の壁を超えて個人を中心とした世界連邦や世界政府への道はなお遠いものにとどまっています。
  しかし、現在の世界の状況を見てみると、主権国家間の国際社会の枠組みが少しずつ修正されてきているように思われます。「地球」や「国際共同体」、「人類」といったキーワードが国際社会の中で日常的に使われるようになったのも、その証左の一端でしょう。これらの言葉はいずれも1960年代半ばに登場しました。世界法研究会が発足したのもまさにこの頃でした。
  それから半世紀が過ぎました。国境を超えた人の移動や活動、事象は拡大と濃密化の一途をたどっています。それは領域主権を基礎とした国家枠組みに大きな揺らぎを生じさせているといっても過言ではありません。WTOは人と物の自由な流通を目論み、NGOや企業、そしてテロ組織も含めて非国家主体の活動は、主権国家の枠をはみ出しています。地球環境保護は国境線に拘らない地球全体を対象にしています。さらにもっとも主権の枠を基盤にした政治的問題であるはずの安全保障についても、安保理の狙い撃ち制裁にみるように個人を直接の対象とした制裁が登場しています。新しい脅威としてのテロ、感染症、自然災害は、これまでの国際法の規範枠組みに再考を迫るものでもあります。また「保護する責任」は、国際共同体の役割を強調して、まさに世界国家的な背景を垣間見させてくれます。
  そしてこのたびの東日本大震災では、世界の人々の連帯意識が国家の枠をあたかもなきがごとくに示されたのでした。それは、国レベルの国際支援とともに、地球のすべての人々が隣人であり友人であるという意識に他ならないでしょう。そのような意識を裏打ちするのが、科学技術でありITです。科学技術や情報の世界はすでに国境のタガを外してしまっています。
  法規範の世界においても、確かにハードローはなお主権国家の意思や合意に基づいていますが、ソフトローはそれぞれの人の活動の中で実質的に世界レベルの規範が生み出され、遵守されている状態にあります。国際機構による規範形成を見ても、政治的国際機構は主権のハードルが高いといえますが、専門的機構においては、それぞれの機構が条約という手段をとることなくその専門性を発揮して作成したガイドラインが、実際に国内の現場で直接に適用されています。
  こうした状況は、もはや「国家間」という意味での「国際」ではなく、「世界」や「国境を超える共同体」を念頭におかなければ把握し得ない状況を作り出しています。それらの状況を法のレベルでどのようにとらえるのか。世界法学会が研究するべき対象がまさにそこにあるといえましょう。
  世界法は、その誕生とその名称からして「方向性」を内包する学問分野であるといえます。誤解を恐れずに言うならば、国際法が現状の学問であるのに対して、世界法はひとつの方向性を持った法体系(droit de finalité)であるといえます。世界法学会が国際法学会とは別個に存在していることの意味をさらに問いかけていきたいと思います。
  最後に、世界法学会の今後の運営に関してひとこと申し上げます。国際法学会が一つの大きな変化を遂げようとしている今、世界法学会もいわば独り立ちする必要が来たように思われます。研究大会の持ち方、会員拡大の方策、雑誌の電子アーカイブ化等、今後の世界法学会の活動を根本的に考え直す機会が訪れているのです。世界法学会はひとつの転機を迎えています。そのような時期に理事長に選出されたことの重みを感じつつ、今後の学会の発展に努力していきたいと考えます。手始めに「将来計画検討ワーキンググループ」設置いたしました。この中で世界法学会の今と将来を多面的に検討いただき、次の時代の世界法学会に引き継ぐことができればと思います。
  これまでの歴代理事長のご尽力を無駄にすることなく、この学会を一層発展させていきたいと願っています。皆様方のご指導とご協力をお願い申し上げます。